前の人を見れば大丈夫
今日は、親族の葬儀だった。
親族は二十人ほど集まっていた。
その中で私は、誰にどう声をかければいいのかわからず、ずっと半歩引いたところにいた。
理由はわかっている。
相手の顔と名前を覚えていないからだ。
この人には会ったことがあるのか。
会ったことがあるなら、なんと呼べばいいのか。
「はじめまして」なのか、「お久しぶりです」なのか。
その最初の一言を間違えるのが怖くて、結局こちらから声をかけられない。
親族の中にいるのに、どこか親族の外側にいるような感じがした。
多分私は、人に興味を持つのが下手なのだと思う。
会話をしていても、「その人がどう感じたか」より、「何が起きたのか」「それは正しいのか」みたいな話をしてしまう。
人を見ているようで、出来事ばかり見ているのかもしれない。
ただ、不思議なことに、名前は覚えられないのに、どうでもいいような話だけは妙に残る。
ある親戚は、これまでに何度も入院したことがあるらしい。
それだけ聞くと心配になるのに、今日会った姿はずいぶん元気そうだった。
別の親戚は、昔の地元の話をしていた。
学生時代には、今ではあまり聞かないような荒っぽい人たちが身近にいて、校内を自転車で走り回る人がいたとか、他校の生徒がやってきたとか、そういう話をしていた。
名前と顔はあやふやなのに、そういう話だけは残る。
人に興味がないというより、人の覚え方がどこか間違っているのかもしれない。
そんなふうに、周りを見ているようで見ていない私が、焼香の前だけは父親ぶっていた。
娘が、焼香をどうやればいいのか心配していた。
私は「前の人を見れば大丈夫だ。真似をするんだよ」と言った。
そして、自分と娘が焼香する番になった。
娘も問題なくできているな、と思っていたら、終わった後で娘が言った。
「お父さん、最後の礼、忘れたでしょ」
偉そうに教えていたのに、娘にダメ出しされてしまった。
私は「前の人を見れば大丈夫だ」と言った。
娘は、ちゃんと前の人を見ていた。
そして私は、ちゃんと娘に見られていた。