腰は高かった
「運動会には来ないでほしい」
とうとう娘に言われてしまった。
来たか。
そういう季節が、我が家にも来たか。
以前、授業参観があったときにも、実は同じことを言われていました。その時は、こちらもやることがあったし、最後の授業参観というわけでもなかった。
だから、
「来てほしくないなら行かないよ」
と、すぐに引き下がりました。
ただ、今回は小学生最後の運動会です。
これは引き下がるわけにはいきません。有終の美を飾ったところを見たい。
「最後の運動会だし、さすがに行くよ。来るなと言われても行く。諦めて」
となかば強制的に行くことを伝えました。
「そっかー。わかった」
まだまだ反抗期には程遠い。意外と強く言うと、あっさり折れるものです。
ちょろい。
と思えるのは、もう最後なのかもしれない。
そういえば自分も小学生の頃、わざと少し親と離れて歩くようにしていた記憶があります。
一人で行動する勇気もなく、親に「来てくれるな」と言うのも悪い。だから、気持ちだけ離れて歩く。友達に親と一緒に歩いているところを見られたら恥ずかしい。そんな気持ちがあったような気がします。
娘も同じような感じなのでしょう。娘は離れて歩くことまではしないけれど、もう手は繋いでくれません。
ここまで早かった。
一瞬だった。
昔は歩くといえば、手を繋ぐのが当然だったのに。
先週の日曜日、運動会がありました。
演目の中にソーラン節がありました。
これは懐かしい。私も昔踊りました。クラス全員で、誰が一番腰を落として踊れるかを競っていたような記憶があります。だから、現代のソーラン節がどんなものなのか楽しみにしていたんです。
そして、演目がスタート。
ん? ちょっと待って。
誰が一番腰が高いかを競ってる?
というくらい腰が高い。
娘を見ると、腰を落としているのではない。ガニ股になっている。
なんだカニか。
ソーラン節って、実は漁をされる側の踊りだったのか!?
私は観客席で、ひとり混乱していた。
もちろん、小学生である。
別にプロの漁師集団ではない。
それはわかっている。
わかっているのだが、私の中の古い運動会観が笛を吹く。
もっと腰を落とせ。
もっと声を出せ。
もっと荒波と戦え。
誰だお前は。
家に帰ってから、妻と昔の小学生の頃の写真を持ち寄って懐かしんでしまった。
そこに写っている私は、ちゃんと腰を落としていた。
思い出補正ではなかった。
私は本当に腰を落としていた。
なぜそこまで本気だったのかはわからない。ただ、写真の中の私は荒波と戦っていた。
娘はそこまで腰を落としていなかった。
というか、だいぶカニだった。
でも、演目が終わったあと、友達と笑っていた。
私は小学生最後の運動会に、有終の美を見に行ったつもりだった。
けれど見たのは、私の知っている運動会ではなく、娘が私の知らない時代を生きている姿だった。
腰は高かった。
でも、楽しそうではあった。
それを褒めていいのか、寂しがっていいのか、昭和寄りの父にはまだわからない。