ガラス越しに見るだけで私はわかる

「あのローソンにはクレーンゲームがあるよ。私くらいになると外からでもわかる」

助手席の娘がそう言った。

私は運転していたので、すぐには確認できなかった。信号で止まった時に、横目で見ると、確かにガラスの向こうに、白く光る箱のようなものが見えた。

外からでもわかるらしい。

娘は観察力がある。そしてクレーンゲームが好きだ。
小さい頃から特別たくさんやらせてきたつもりはない。それでもショッピングモールやゲームセンターでクレーンゲームを見かけると、必ずこちらをみてくる。

最近は、こちらからお金を出すことはほとんどない。

「自分のお金ならいいんじゃない」

そう言うと、娘はすぐに筐体を見て周り始める。
私はそこで少し不思議になる。

「え?このぬいぐるみが欲しいからクレーンゲームがしたいんじゃないの?
「そうだけど、それ以外も見たいの!」

なるほど、と思った。
欲しいぬいぐるみがあるからクレーンゲームをするのではない。クレーンゲームがしたいから、欲しいぬいぐるみを探しているのだ。

順番が逆なのだ。

たしかに、クレーンゲームには、人をその気にさせる力がある。
アームがぬいぐるみを掴む。少し持ち上がる。出口の方へ運ばれる。いけるかもしれない、と思ったところで、するりと落ちる。

あれはずるい。

確率機であることは頭ではわかっている。
いつでも同じ力で掴んでいるわkではないのだろうし、こちらの技術だけでどうにかなるものでもないのだろう。それでも、目の前で少し動いてしまうと、「あと一回でいけるのでは」と思ってしまう。

娘がやっている時もそうだ。

「もう少し手前!」
「いや、右から引っ掛けたほうがいいんじゃない?」
「今のは惜しかった!」

などと、私は横から色々言ってしまう。
アドバイスという形をしているが、実際には自分もかなり楽しんでいる。

親としては、クレーンゲームにハマって欲しくない。
部屋にはすでに、クレーンゲームで撮ったぬいぐるみが増えている。ベッドの上、棚の上、箱の中。撮った瞬間下は小さな勝利だったはずのものたちが、少しずつ生活空間を圧迫している。

だから、できれば程々にして欲しい。

ただ、ゲームセンターならまだいい。
ゲームセンターは、わざわざ行く場所だからだ。こちらにも心の準備がある。
今日はそういう場所に来てしまったのだ、という諦めがつく。

問題はローソンである。

ローソンは生活圏にある。
お茶を買う。牛乳を買う。コピーを取る。荷物を出す。そういう日常のすぐ横にクレーンゲームが置かれている。

これは困る。

お茶を買いに行っただけなのに、帰りにはぬいぐるみを抱えている未来が、かなり具体的に想像できてしまう。

そしてもっと困るのは、その横で私が、

「今の配置なら、もう一回やれば取れるんじゃない?」

と言っている姿まで、同じくらい具体的に想像できてしまうことだ。